私たちは肉体ではありません。
私たちは人間ではありません。
私たちは偉大なスピリット(霊)の『神』が、自らの存在を延長して創造したスピリット(霊)です。「神の子」です。
スピリットとはどんなものなのか、具体的に説明することはできません。
スピリットを正確に説明できる言葉、表現手段はないといわれています。
物質世界の意識では残念ながら理解不可能です。
物質世界から離れた世界に、それを完全に理解する存在はいますが、
それを私たちに理解できるように言葉や形で説明することは残念ながら無理なようです。
【スピリット=霊】です。
ですが、俗にいう「幽霊」と勘違いする人もいますからあえてスピリットと表現します。
またここでは「魂」という表現はあえて使いません。
この表現もまた多くの解釈に分かれ、誤解を生んでいるので、このサイトではあまり使わないようにしています。
またさまざまな色を持ち人の体から発する「オーラ」というものもありますが、
これもスピリットではありません。
スピリットは、肉体意識で感知できたりするものではないのです。
ここで説明しているスピリットは体の中に存在するものではありません。体の外側に存在するものです。
体の外側にいて、この物質世界にはいないという言い方もできます。
体を出たり入ったりしているように見える、もしくはそう感じるものとは、ここでは別のものだと思ってください。
とりあえずスピリットを今なんらかの言葉で表現するとしたら、
「独立した存在、個性ではない」
「形もない」
「名前もない」
「大きさもない」
「永遠の存在」
「100パーセント愛だけの存在」
「何も不足していない、それだけで完璧な存在」
「それ一つがすべて」
であり、今のところは適した表現方法がないので、とりあえず『光のようなもの』だと考えることにしましょう。
『神』は創造することの喜びのために、
自らの愛を拡大し与えるために、
『神の子』を創造しました。
『神』というスピリットの中には【マインド】があります。
『神』は、『神の子』というスピリットの中にも【マインド】をつくりました。
『神』は唯一無二の存在です。
『神』は完全無欠の存在です。
『神』は絶対的に完璧です。
『神』は【愛と喜び】だけをもった存在です。
【愛】だけの存在であるということは、絶対的な強さでもあります。
なぜなら、【愛】以上に強いものなどないからです。
『神』は自らの存在を拡大し、その拡大した部分に自らと同じ【創造する力】と【自由意思】を与えました。
『神』は自らと同じ、100パーセントの【愛の存在】として私たちスピリットを創造しました。
ここで「生みだした」という言葉を使わないのは、
『神』が「自らの外側に新しい生命を創造した」という誤解を与えないためです。
『神』は自らの外側には何もつくってはいません。
『神』以外になにも存在しません。
『神』以外になにも世界はありません。
すべてが『神』そのもので、
『神』が神以外の何かをつくりだすことはしていません。
『神』は自分と同じ性質を【自らを延長する】ことで創造したのです。
『神』が創造できるものは、もともと『神の中にあったもの』だけです。
よって、『神』が自らと違うもの、自らの中に存在しない何かをつくりだすことは不可能です。
『神』はただ自らと同じものを拡大した、延長したにすぎません。
『神』と、
その『神』から創造された『神の子』との唯一の違いがあるとすれば、
『神』は『神の子』を創造できるが、
『神の子』は『神』を創造することはできない
という点です。
延長された部分が自らの源になることはできません。
自らの源を生み出すこともできません。
しかし源と共に新たに自らを延長することは可能です。
川の流れを思い浮かべてください。
最初に川がつくられるとき、源から流れ出した水が川となりました。
源からさらに水が流れ続けると、川はより長く延びていきます。
しかし川は最初に水を流した源を生み出すことはできませんよね。
川は源になることも源を生み出すこともできませんが、源と共に自らを(川)を延長することはできます。
それが『神の子』に与えられた【創造力】です。
ここでいう【創造】とは、俗に言われるこの世界での創造とはまったく別のものだと思ってください。
ここでいう【創造】は、『神』と共に『神』という存在を延長することをいいます。
その延長された部分であるスピリット『神の子』は、一度も『神』から離れたことはありません。
『神』と常に一体です。
完璧な一体性です。
「神の子」であるスピリットは、
今も『神』の一部分であり、『神』と一つであるがゆえに全体でもあるのです。
しかし、『神』が『神の子』を創造した瞬間、【『神の子』のマインドのほんの一部分】がある錯覚を起こしました。
『神』が与えた「自由意思」と「創造性」について間違った捉え方をしたのです。
『神の子』のマインドの一部は、
『神』から与えられた「自由意思」の意味を、『神』から引き離されたことだと誤解しました。
『神の子』のマインドの一部は、そのとき『神』に捨てられたのかもしれないと疑ったのです。
同時にそれは、『神』から与えられた「創造性」で、
自らも『神』のように世界を創造できるのだという信念をもった瞬間でもありました。
あるいは、自由意思とは『神』が創造しないものを創造できるとほんの一瞬思ったのかもしれません。
なぜ「マインドの一部」という表現をしているかというと、マインドにはまったく誤解をしていない完璧な部分が存在するからです。
ここでいう「マインドの一部」とは俗にいう【自我、エゴ、フィジカルマインド、低次の意識】などと呼ばれるものを指しています。
逆に誤解しなかった完璧なマインドのことを俗に【ハイヤーマインドとかハイヤーセルフ、聖霊、高次の意識】と呼ばれています。
誤解したマインドの一部は、
『神』から引き離されたと信じ、
『神』に捨てられたと疑い、
ならば『神』が創造していない【自分のオリジナルの世界】を創ろうと考えました。
それはほんの一瞬の出来事でした。
宇宙はなにかの偶然が重なって生まれたものではありません。
そして宇宙は『神』がつくったものでもありません。
宇宙は『神の子』のマインドがつくったのです。
『神』から遠く離れ、
『神』と同じ力を使い、
『神』が創造したことのない世界を創れると信じた『神の子』のマインドがつくりだしたのです。
『神』の世界は【すべてが一つの世界】です。
【すべてが一つ】ということは、なに一つ分かれてはいないということであり、
一切の違いをもたない存在ということです。
しかし、『神の子』のマインドは『神』から分離したと信じ、
その【分離】をキーワードにしてこの宇宙をつくりだしてしまいました。
『神の子』のマインドがつくった世界は、『神の世界』とはすべてが正反対の世界です。
あらゆる生命に違いがある【すべてがバラバラになっている世界】です。
【分離】をテーマにして、
この世界で目に見えるもの、この世界で触れられるもの、形あるものすべてに、
【違い】を与えたのです。
『神の世界』はすべてが一つであるがゆえ、何も分かれてなく、そのすべてに違いを見つけることはできません。
すべてが一つであるがゆえに、個別の形はありません。
『神』の世界は、つねに創造主『神』と共に生きる世界です。
すべてが調和し、
すべてが完全で、
すべてが愛そのもので、
すべてが喜びそのものです。
そこで『神の子』は自由に創造します。
自由なのですが、『神』と一体の『神の子』が創造できるものは、『神』が創造できるものです。
『神』から創造された『神の子』が『神』を超えて、
『神』が創造できないものを創りだすことはできません。
それはすべて『神』との共同作業です。
永遠に完全な世界で行われます。
何かが欠落して、それを補うために創造が行われることはありません。
ただ喜びを拡大するために……
ただ愛を表現するために……
ただ喜びと愛を『神』と共有するために……
『神の子』が 源の『神』 と共に新しい『神の子』を創造するのです。
『神の子』のマインドがこの宇宙をつくりました。
『神』に似せて創られた『神の子』のマインドがつくった世界です。
しかし、本当は何もつくってはいません。ここからが重要です。
『神』から一度も離れたことのないスピリットが『神の子』であり、それが『本当の私たち』です。
その『神の子』が、『神』が創らないものを創ることは可能でしょうか。
『神』から離れてなくて、『神』と完璧に一体である『神の子』が、
『神』の中にない力を使って、『神』が一度も創造したことがないものを創造できるでしょうか。
【永遠の愛】しか知らない『神』が、
愛が現れたり消えたり、
愛が強くなったり弱くなったりするような
【気まぐれな愛の世界】を創ったりするでしょうか。
すべてが【たった一つ】の存在が、
何一つ切り離せない存在が、
それで何もかも完璧だった存在が、
なんらかの目的で自分自身をバラバラにしたと考えるのは狂った考えです。
この物質世界は実在しているようで本当は存在してはいないのです。
この世界の目に見えるもの、この世界の形あるもの、すべては幻想です。
『神』は永遠に変わらないものしか創りません。
しかし、『神の子』がこの宇宙でつくりだせたものは「変わり続けるもの」だけでした。
『神』は【決して死なないもの】【永久に滅びることのないもの】だけを創ります。
しかしこの世界のものは、すべてが「死んでゆくもの」「滅んでしまうもの」だけです。
『神』は【決して死なないもの】として『神の子』を創造したのに、なぜその『神の子』が「死んでしまう」のでしょうか。
おかしいとは思いませんか?
『神』に似せて創られた【完全無欠】な存在の『神の子』が、いつも何かが不足して生きているのは何故でしょうか。
『神』は『神の子』を切り離してはいません。今も『神の子』と一体です。
完全無欠な『神』という存在と今も一体ならば、
『神』の一部である『神の子』だけが【不完全】であるはずはありません。
私たちは夢を見ています。
ここでいう私たちとは、『神』 から離れ、この宇宙の中で、肉体の中で生きていると信じている肉体意識です。
私たちの肉体意識(フィジカルマインド)は、「神から離れた」という夢を見ているにすぎません。
「神から離れて独自の世界に生きている」という幻想の中にいるのです。
私たちはずっと眠っているのです。
これは、長い長い夢です。
でも【時間】もまた私たちのマインドがつくりだした幻想にすぎません。
時間は変わりゆくものであり、永遠の『神』は変わりゆくものは創りません。
ただ今という瞬間が続いているだけです。
ですから、長い長い夢も、本当は『ほんの一瞬のこと』なのです。
【空間】もまた幻想にすぎません。
『神』だけが存在します。『神』のいる世界だけが唯一であり、そこだけがすべてです。
『本当の私たち』であるスピリットは、
今この瞬間も『神』と共にいて、永遠で完全な愛と喜びの中で生きています。
そのマインドの一部が、今も夢から醒めずにいる……
その醒めずにいるマインドの一部がこれを書いている僕であり、
この文章を読んでいるあなたなのです。
私たちは本当は夢から醒めたいのです。
本能的に『神』が恋しく思うのです。
永遠の豊かさの中で生きていたことを(今も生きていることを)思い出したいのです。
でもその一方で、夢から醒めることを怖れています。
夢から醒めたとき、どんなことが待ち受けているのかわからないからです。
夢が終わったとき、これまで自分が築き上げた個性という名の財産を取り上げられるような恐怖があるのです。
『神』から遠く離れ、
『神』とは別に独自のものをつくれると信じ、
『神』を必要としていながら、
いつの日か『神』に罰せられると信じて、私たちは『神』を怖れてきたのです。
『神』から離れ、
『神の世界』と正反対の世界をつくってしまったことは『神』に背く行為であり罪だと考えました。
「罪を犯した」、だから『神』は当然自分を罰するだろうと怖れました。
そこで私たちのフィジカルマインド(肉体意識、自我ともいう)は、『神』への怖れと向き合わなくて済むように、
自分がこの世界をつくったことを忘れることにしました。
私たちはこう考えることにしたのです。
「この世界は神が創造した世界だ」
「幻想なんかじゃなく、実在の世界だ」
「この世界は『神』が創ったのだから、この世界に生きることには意味があるはずだ」と。
そうやって『神』のもとに帰らなくて済むようにしたのです。
怖いことを思い出さなくてすむように。
そうやって夢から醒めないようにしたのです。
自分が本当は何者で、『神』とはどんな存在か、それを忘れることにしてしまいました。
だから肉体が死んでもくり返しこの物質世界に戻ってくるのです。
『神』と再会するのが怖くて戻ってくるのです。
自分が独自につくった世界を失うことを怖れ、
何度も生まれ変わってくるという夢を見続けてきたのです。
ずっと夢の中にとどまろうとしているのです。
魂が地上に降りてきて、
新しい肉体に宿り、
その肉体で数十年の人生を生き、
その人生でさまざまな人に出会い、
さまざまな体験をし、
やがて老いて死んでいき、
死ぬと同時に肉体から魂が抜け出して、
再びあの世に帰り、
年月が経って、またこの世に生まれ変わる……
これらは全部夢の中の出来事です。
この世界の肉体の私たちは、マインドが見ている夢の登場人物にすぎないのです。
マインドの一部分で、壮大かつ緻密につくりあげた長い長い夢をくり返し見ているのです。
私たちは本当は夢から醒めたいのです。
夢から醒めて『神』のもとに帰りたいのです。
本当の自分に戻りたいのです。
でも、夢から醒めることを何よりも怖れるのです。
しかし、怖れる必要はありません。
本当は夢から醒めたら、
「なんだ、一度も『神』から離れたことはなかったのか」と一瞬で理解するだけです。
一度も孤独になったことはなく、
一度も飢えたことなどなく、
一度も死んだことがなかったと知るだけです。
誰かを傷つけたことも、
誰かに傷つけられたことも、
何者かと闘ったことなど一度もなかったと悟るだけです。
夢から醒めたら、
『神』の愛の中で、完璧に安全で、永遠の安らぎと喜びの中にいたことを思い出すでしょう。
そして次の瞬間、それまで見ていた夢のこともすっかり忘れてしまうでしょう。
『神』が私たちを罰するなど狂った考えです。
【愛】しか知らない存在が、自らに似せて創った自分の子供をどうして罰するでしょうか。
私たちが長い夢から醒めたら『神』はただ私たちをやさしく迎えてくれるだけです。
私たちが夢から醒めたことを、ただただ祝福してくれるだけです。
「おかえり。ずっと待っていたよ」
ただそう言って、永遠の愛と喜びの中に私たちを招き入れてくれるだけです。
一緒に夢から覚めませんか?
僕はあなたと一緒にこの夢から目覚めたいと思っています。
一緒に帰りませんか?
僕はあなたと一緒に『神』のもとに帰りたいと思っています。
そのためには、この世界で、『本当の自分』を思い出さなくてはなりません。
そのために『本当の自分』として生きなくてはなりません。
それが夢から醒めるための必須条件です。
『神』はそのためにはどうしたら良いのか、その方法を『神の子』が分離を信じた瞬間から私たちに伝え続けています。
『神』はいつでも私たちが夢から醒めることができるように用意をしています。
そのために僕が知っていることを、このサイトを通じて、僕なりの言葉や方法で伝えていきたいと思います。
一緒に『本当の自分』に戻りませんか?
一緒に夢から醒めて、『神の家』に帰りませんか?