あなたが見ているこの世界は心(マインド)によって投影された幻想の世界です。
あなたの肉体も心の投影です。
心は肉体の中にはありません。肉体の外側にあるのです。
違う言い方をすれば、肉体は心の中に含まれているという表現もできます。
心の中に「自分は肉体である」という夢を見ている部分があります。
その部分が夢の中にあなたの肉体を投影しているのです。
本当のあなたの中に、
『神』と共にいるのに、
「自分は肉体に宿っている」という夢を誤って見ている部分があります。
肉体が幻想でしかないのなら、
病気もまた幻想ということになります。
私たちは「健康である」という夢を見ることもあれば、
「病気になった」という夢を見ることもできます。
では、どうして私たちの心は夢の中で病気をつくりだすのでしょうか。
肉体そのものが心によって投影された幻想ですから、病気は肉体によって生みだされるわけではありません。
肉体は心によってつくられ、
肉体はその心の意思に忠実に従い、心の命令通りに病気を具現化しているにすぎません。
あらゆる病気は心の奥に潜む【罪悪感】によって生まれます。
その【罪悪感】は、私たちの心が『神からの分離』を信じた瞬間に心の中に生まれたものです。
『神』から離れてしまったという【罪悪感】が私たちの心の一部分にしっかり根を張っています。
その【罪悪感】が夢の中ですべての分離劇を生み出し、すべての悲劇をつくりだす源です。
【罪悪感】が病気をはじめとして様々に形を変え、
対立、憎しみ、別れ、災害、死など、
この世界で私たちが経験するあらゆる苦難を夢の中でつくりだしているのです。
私たちは自分の心の奥にそんな【罪悪感】があることに気づかぬまま毎日を生きてきました。
【罪悪感】は「自分は無価値である」という思いです。
【罪悪感】は「自分は『神』から愛されていない」という観念です。
【罪悪感】は「自分は『神』から遠く離れている」という信念です。
無意識に抱き続ける「『神』に愛されていない」という思いが、
病気を生み出して自らを攻撃するのです。
私たちは、この【罪悪感】に気づかぬまま、
病気は自分の外側からやってくると信じたり、
病気の原因は肉体の中にあるという前提で、薬物などの物理的治療だけで病気を治癒させることを試みます。
この試みは成功することがあります。
病気の原因は肉体の中に見つかることはあります。
その時代により医学の進み方は違うので、今見つからない原因も別の時代では見つかる可能性は高いでしょう。
これは心にある真の原因に触れぬまま、
薬物投与や外科的治療で解決できるという信念を持ち続けた結果です。
あなたが見ているもの、
あなたが経験するものは、
あなたが心の中でどんな観念を持ち続けているかによって変わります。
良くも悪くもあなたの信念通りに、あなたの体験はつくられます。
だからあなたが病気は薬物や外科的治療で治せると確信できるなら、本当に治せることもあるでしょう。
しかし、私たちの本来の姿は肉体ではなく、『神』に創造されたままのスピリット(霊)です。
スピリットはけっして病気になることはありません。
なぜなら『完全な神』から生まれたものは『完全な神の子』だけだからです。
不完全な状態になることができるのは肉体だけであり、
その肉体そのものが私たちがつくりだした幻想であるからして、
病気を治す薬物もまた幻想の代物です。
幻想を幻想で治すのです。
しかし、そうやって幻想を幻想で治癒させても【罪悪感】が残っているかぎり、
再び病気をつくりだすか、
病気以外の方法をつくりだして自分自身を攻撃することになるでしょう。
もしも、自分の意識の中で幻想を実在のものとせず、
「自分は完璧なスピリットである」
と完全に悟ることができたなら病気は完全に治ってしまうでしょう。
そういう確信を持っていられるならば、そもそも病気になることさえありません。
それは完全に癒されている心であり、それが本来の自分の状態です。
完全に癒されている心は、
【罪悪感】を持たない完璧な存在であるがゆえに、病気をつくりだすことはあり得ないのです。
しかし、あなたが今もこの夢の世界にいるという事実は、
「私の肉体は幻想なんかじゃなく真実」
という強い信念をもっているためであり、
肉体を真実として、スピリットである自分を幻想としてしまっている間は、
病気をしない自分を信じることは不可能であり、
よって心が完全に癒された状態になることは困難です。
私たちの【罪悪感】は自我(エゴ)となり、
その自我は肉体の私たちに、この世界が幻想ではなく真実であると信じ込ませるために絶えずあなたの心に働きかけます。
人は病気によって肉体に痛みや苦しみを感じている間は、
肉体に意識が集中し、嫌でも自分が肉体であると信じてしまいます。
医学によって病気を完治させられても、
【罪悪感】は私たちに肉体であることを忘れさせぬように再び病気をつくりだします。
そのくり返しです。
本当の原因に向き合うまではこの悪循環のままです。
病気が自分の外からやってきたり(感染症のように)、
病気が自分の先祖に原因があると信じたり(遺伝性のように)、
病気は物理的偶然がたまたま重なって生まれたり、
病気の原因が常に自分の外側からやってくると信じるかぎり、
私たちの病気はなくなることはないでしょう。
もしも今、あなたが何らかの病気をしているのなら、
けっして病気を憎まないでください。
けっして病気と闘わないでください。
「病気と闘う」
「病気に勝つ」
そういった言葉を、本人も周囲の人も医師も肯定的な意味で使っているのは知っています。
それを間違いと言うつもりはありません。
しかし、病気は自分の中から生み出されています。
自分の中にあるものを【敵】として認識するわけです。
病気は、あなたの心にある『自分には罪がある』という潜在意識であり、
『自分は無価値である。だから自らを攻撃したい』という自虐意識の結果です。
『自分で自分を攻撃することは可能なのだ』という信念です。
「病気と闘う」という思いは、
あなた自身が生み出した病気を、さらにあなた自身で攻撃しようとするのと同じです。
たとえるなら、あなたは無意識に右手で自分の体を殴りはじめ、
今度はその右手を恐れて左手で右手を殴りはじめるようなものです。
自分で自分を殴り、
その殴る手をさらに殴りつけたら、
そこにあるものは《痛み》しかないのではないでしょうか。
病気に対し攻撃的な心でいても、その結果は、
病気が治らないか、
病気は治るけど長引くか、
いったんは治るけど再発したり、
いずれ別の病気をつくりだすことになります。
葛藤が生み出せるのは苦しみだけです 。葛藤が癒しを生み出すことはあり得ません。
では、どうしたらいいでしょう?
病気の原因はどうやら心そのものにあるらしい……そう思ってみてもすぐにどうにかできることではありません。
心が癒されぬまま医学的治療をやめてしまえば病気は進行してしまいます。
病気を攻撃してはいけないということは、
病気を放置しろってことでしょうか?
そうではありません。
とりあえずは医学的治療を試みながら、
病気を生み出した心を、同時進行で、ゆっくりと時間をかけて癒してゆくということです。
たとえばですが、自分の病気、自分の肉体をこんなふうにイメージしてみてください。
あなたに小さな子供がいるとします。
この子供はある日突然、
ワーワーと泣きじゃくったり、
大声を出すのをやめなかったり、
反抗的になって暴れたりします。
その時、親であるあなたはどう反応するでしょうか?
騒ぐ子供に「静かにしなさい!」と注意しますか?
それでも子供がやめない場合、どうしますか?
怒るでしょうか?
子供が暴れるのをやめない場合は、力づくで押さえつけるでしょうか。
本当にその方法しかないのでしょうか。
子供に怒りをぶつけたり、
力づくで黙らせるよりも先にするべきことがあるのかもしれません。
その子供は、単にあなたの注意を引きたかっただけなのかもしれません。
あなたに聞いてほしいことがあるのに、あなたが無視し続けるので癇癪を起こしているだけなのかもしれません。
泣きじゃくる子供にイラ立つ前に、
暴れる子供を叱りつける前に、
あなたは子供の言うことにもっと耳を傾ける必要があるのかもしれません。
目の前の子供を恨みがましく見るのではなく、
まずは自分の心を落ち着かせ、
子供が本当はあなたに何を伝えようとしているのか、
じーっと子供を観察してみるほうが賢明かもしれません。
この子供は、
病気になったあなたの肉体です。
この子供の声はあなたの病気そのものです。
病気は、あなたの注意を引きたいのです。
あなたが見るべきものを見ようとしないから、
あなたの肉体は病気という形で、
今のあなたの心にあるものを象徴的に見せてくれているのです。
あなたの病気はあなたを攻撃したいのではなく、
「心の声を聞いてほしい」
「あなたの心の中をもっとよく見てほしい」
「もっと自分自身を愛してほしい」
そう言いたいだけなのです。
私たちは病気になると、
どうしても肉体から自分の心が攻撃されているように錯覚してしまいますが本当は逆なのです。
あなたの心が先に肉体を攻撃しているのです。
私たちは、自分が先に殴ったことを忘れて、「殴らないで!」と叫ぶのです。
『神』は、
あなたを創造した瞬間から今日まで、
あなたのことを愛さなかったことはただの一度もありません。
あなたを無条件で愛し続け、
あなたを無条件に祝福しているのです。
あなたは『神』に創造された瞬間から今日まで、一度も罪を犯したことはありません。
罪を犯したという夢を見てきただけです。
心の中で「自分は穢れてしまった」という幻想をつくっただけです。
『神』から愛されるためには何の条件もいりません。
なぜなら『神』には「愛さない」という概念はないからです。
愛すること、それ以外は何もできないのです。
あなたが『神』から愛されていないと感じているとすれば、
それはあなた自身が持つ『神』への恐れから、
『神』を感じられぬように壁をつくっているにすぎません。
あなた自身が、『神』の声が聞こえないように耳をふさいでいるにすぎません。
あなたが、あなた自身を、
何の条件もなく愛せるようになったとき、あなたは心の中に『神』を迎え入れます。
なぜなら『神』と同じように自分を愛せたからです。
この瞬間、『神』の代理であるハイヤーセルフ(聖霊)があなたの心を癒すことが可能になります。
「自分を攻撃したい」という思いを、
「自分を愛せる」という思いに修正するのです。
本当に治療が必要なのは肉体の方ではなく心の方なのです。
心を置き去りにして、肉体だけを癒そうとしても無理なのです。
心を治療するために、心を変えるのです。
心そのものを癒していった結果、
痛みという幻想をつくりだす必要がなくなるということです。
心が癒やされるにつれ、病気はようやく好転していきます。
たとえ完治できなくとも、痛みや苦しみは必ず軽減します。症状は安定します。
(心の癒しが進んでも症状が好転しないケースについては【死の手段】で説明しています)
心を癒していった結果、
医学に頼らず病気が治ってしまう人もいるかと思います。
しかし、多くの人はそこまで飛躍できるほど自分の心を一気に変えることは困難かと思います。
ですから、まずは医学と上手に付き合いながら、心と肉体を癒してゆくほうが懸命かと思います。
心が癒され始めると、
ハイヤーセルフ(聖霊)が、今とは違う医学的治療にあなたを導くことがあります。
これも心に癒しが起こったからこそです。
病気は幻想で、医学的治療も幻想ではありますが、
あなたが自分を癒すことに同意した結果として、
あなたが心に変化を起こした結果として、
違う治療法に導かれることがあるのです。
つまり、その時々の自分の心のあり様により、その時々の導かれ方も変わってくるということです。
新しい治療法に出会った時、
その治療法にやすらぎを感じたり、喜びを感じられたなら、
それは『神』の代理であるハイヤーセルフの導きです。素直にそれに従ってください。
そして、精一杯の感謝を贈りましょう。