過去世と来世(輪廻転生とは)


 

基本的なことは【時間の流れ】【ストーリーを変える】と同じです。

 

過去世から現世、現世から来世と直線的に考えてしまうと、いずれどこかでその考えは行き詰まってしまいます。

 

ここでは、マインドは常に体の外側にあるという概念を基本にしてお話しします。

 

 

【魂とは】でもお話ししたように、

私たちは肉体の外側からやって来て、一時期その肉体に宿って、ある時期が来たら肉体から離れていく……

 

まるでヤドカリのように体から体に移動していくように捉えることは(実際に第三の目でそう見えたとしても)、

肉体の私たちにとっていちばん受け入れやすい概念なのですが、その考えはここでははっきり否定していきます。

 

なぜなら私たちが肉体の外側からやって来たのだとしたなら、

そもそもこの肉体は誰が創造したのかという根源的な話から食い違ってくるからです。

 

(詳細は【魂とは】で説明しています)

 

 

 

スピリチュアルな教えので中でも、

「輪廻転生はある」という考えと、

「厳密には輪廻転生はない」という考え方があります。

 

「厳密には…」というのは、

【今ここ】を生きる私たちに、

過去世と思える人生、来世と思える人生が(並行世も同様ですが)存在するのは確かだからです。

(*「そう思える」というところに注意してください)

 

 

 

 

時間の流れを直線的なものと信じていると、個々に肉体から肉体に移動しているように錯覚してしまいます。 

スピリットとマインドは、常にこの世界の外側に存在することが大前提です。

 

マインドはこの世界の外側に存在し、

この世界のすべてを投影していること、

 

見に映るものが、

それが肉体の目であっても、

それが第三の目であっても、

個々に独立しているように見えてしまうものは、すべてマインドがつくりだす幻想です。

 

これが基本であり、

これを基本にしないと輪廻転生を説明することはできません。

 

 

 

 

時間のすべては、始まりから終わりまで同時につくられました。 

よってあなたにとってのすべての過去世も、すべての来世も、同時につくられたのです。

 

【本当の私たち】はスピリットであり、マインドです。

 

そのスピリットはたった一つであり、マインドもたった一つです。

 

私たちはその一つのスピリットでありながら、複数に分かれてしまったと誤って信じています。

 

そしてその分離したスピリットの数だけマインドも複数あるんだと信じています。

 

 

 

神はたった一つのスピリット、

 

たった一つのマインドを創造しただけです。

 

その一つしかないマインドに、分離を信じたマインドが部分的に存在します。

 

これが「今自分は肉体だ」と信じている私たちです。

このサイトではフィジカルマインドと呼んでいます。

 

『死後の世界とは』でお話ししましたが、

私たちは死んだら自動的に神の元に帰るわけではありません。

 

私たちは死んだら自動的に分離の幻想から醒めるわけではありません。

 

「死んだら神が待つ天国に行ける」

 

もし本当にそうならば二度とこの物質世界には戻ってこないでしょう。

 

神の元に帰るということは、

完全に夢から醒めるということです。

 

神との分離はもちろん、

最初から神の子の分離は起こらなかったと知るときです。

 

「それはありえなかった」と悟るときであり、

何も始まらず、何も終わらなかったのだと知るときです(悪夢は終わりますが)。

 

幻想から完全に醒めたら、

再び幻想を信じることはありえません。

 

本当の自分を完全に思い出すことができたなら、肉体の自分に戻る必要性はないのです。

 

どこまでも永遠で、

 

完全に無制限で、

 

豊かさのすべてがあり、

 

100%の愛と喜びしか存在しない自分……

 

これが【本当の私たち】です。

 

 

 

すべてが『神』と『神の子』である自分自身です。

 

真実の世界では、何一つ分離していません。

 

長い時間をかけてバラバラのものが一つになったのではありません。

 

 

 

最初からたった一つしかなかったのです。

 

一つのマインドが、

自らをたくさんの自分として演じ分け、

あたかも何億、何十億の生命があるかのように夢を見始めた……

 

これが宇宙の始まりであり、

 

時間の始まりになります。

 

 

 

本当の自分を思い出すことは、同時に『神』とは何なのかを完璧に思い出す瞬間です。

 

本当の自分に戻ることは、

地球の時間の感覚でいえば、何十万年、何億年と探し求めてきたものを見つける瞬間です。

 

ずっと夢の中を彷徨い続け、

会いたくてしかたがなかった存在にようやく再会できる瞬間です。

 

 

それなのに、

本当の自分に戻ったのに、

再び肉体として生きるはずはありません。

 

 

矮小で非力で常に欠乏を感じ、

常に何らかの不安や疑い、さまざまな葛藤の中に再び身を投じる必要性があるでしょうか。

 

 

私たちが死んで最初に向かう所は、本当の天国とは違う場所です。

 

 

私たちは「この物質世界で生きた」という夢を見て、

 

次に「この物質世界で死んだ」という夢を見て、

 

次に「この物質世界を離れて“あの世”と呼ばれる非物質世界へ行く」という夢を見ているだけなのです。

 

一連の流れはすべてマインドの中で起きている夢なのです。

 

 

 

そして、

 

非物質世界に行って、

 

私たちを導く存在から「本当の自分を思い出すこと」が私たちの最終目標であることを教わり、

 

非物質世界で生きながら「本当の自分を思い出すこと」を目指すのか、

 

再び物質世界に戻って、

 

物質世界で「本当の自分を思い出すこと」を目指すのかを自ら選択するのです。

 

 

 

すべてはすでに存在しています。

 

何かを選んでいるつもりでも、

結局はすべてを選んでいたりします。 

 

 

 

私たちが経験するすべての人生は、「本当の自分を思い出すこと」そのためのレッスンです。

 

 

レッスンとは、

 

見るもの聞くもの、

 

自分が体験するもの、それらはすべて自分自身がつくりだした幻想であると悟ること。

 

 

 

そして、その幻想の一つ一つを、

 

真実と信じて反応することをやめること。

 

 

 

その幻想の一つ一つを見るとき、

 

肉体を基準にして見るのではなく、

 

スピリットである自分、

 

神の子である『本当の自分』の視点で向きあってゆく……

 

 

出来事のすべて、

 

あらゆる人間関係のすべてを、

 

『本当の自分』として見ることができたとき、それまでとまったく違ったものが見えてきます。

 

そして、それまでとまったく違った反応ができるようになります。

 

オセロゲームのように、真っ黒の盤を一つ一つひっくり返して最後には真っ白な盤に変えてゆく……

 

 

これが私たちのレッスンであり、

 

さまざまな人生を生きる目的なのです。

 

 

非物質世界でも可能なレッスンもあります。

 

物質世界でしか経験できないレッスンもあります。

 

どうしてもそこを通らなくては終わらないレッスンがあります。

 

 

私たちが非物質世界から再び物質世界に生きることを選ぶときは、

 

【物質世界でしかできないレッスン】を完了させると決意したときなのです。

 

 

 

 

 

人が真実に目覚めるには必ず順番があるように思います。 

 

 

 

たとえばこんな感じです。

 

 

 

 

 

① 「この世が実在の世界で、それ以外は存在しない」と頑なに信じる

 

              ↓

 

② 「死んだら“あの世”に行くと思い始めるが、“この世”が実在の世界で、“あの世”は幻想の世界」と信じる

 

              ↓

 

③ 「物質世界は実在の世界だけど、非物質世界もまた実在の世界」と信じ始める

 

              ↓

 

④ 「そうではなく、物質世界が幻想の世界で、非物質世界が実在の世界なのだ」と思い始める

 

              ↓

 

⑤ 「非物質世界は物質世界に比べれば実在の世界を反映してはいるが、本当の意味で実在の世界ではない」と気づく

 

              ↓

 

⑥  物質世界に生きながら、あるいは非物質世界に生きながら、完全に【実在の世界】とは何なのかを思い出す

 

              ↓

 

⑦  そして……完全に【実在の世界】に戻る。完全に幻想の世界から脱出して、二度と分離の世界の夢は見ない

 

              ↓

 

 

これらの流れを、一つの人生で経験する人もいれば、 

過去世〜現世〜来世とまたがって経験する人もいます。 

 

これは誰もが遅かれ早かれ通る道です。

 

例外なくすべての人が経験するプロセスです。

 

全宇宙のすべての生命が【本当の自分】を思い出した未来はすでに存在します。

 

【今ここ】にいる私たちは、そのすでに終わらせたプロセスの一点をマインドの中で生きているだけなのです。

 

 

 

 

 

 

下の図のように、私たちは過去世から現世、現世から来世の流れをイメージしてしまいます。

 

 

 

しかし、『時間の流れ』で説明したように、すべては同時につくられたので実際は下の図のようになります。

 

 

 

幻想の物質世界には、 

 

「時間の流れと空間が存在する」というフィジカルマインド(エゴ)がつくった約束事があります。

 

その点、幻想の非物質世界のほうは物質世界よりも実在の世界を反映しているので、

 

「時間と空間は存在しない」ことを原則にしています。

 

 

 

肉体の私たちは死にます。

 

それは、この世界が『神』がつくった世界ではないために、『神』がつくるものとは正反対になってしまっているからです。

 

それは、「すべてはやがて死ぬ」という原則です。

 

だから、肉体はいったん死にます。滅びます。

 

しかし、【自己】は死にません。

 

だから、死んでも「無」になることはなく、非物質世界に移行します。

 

 

 

物質世界より、非物質世界のほうが同じ幻想であっても【実在の世界】をより多く反映しています。

 

【実在の世界】同様に時間と空間を信じません。それに加えて、

 

「死も信じない」ことが幻想の非物質世界の原則です。

 

 

 

物質世界との共通点は同じ幻想であるということと、

 

個々に波動の違いがあり、その波動の違いによって階層化していること、

 

それぞれが分離していることなどがあるでしょう。

 

 

階層化しているので、高い波動をもつ存在と、低い波動をもつ存在とに分かれます。

 

これもまた物質世界と同様に【二元性】を原則にした世界です。

 

高い階層にいる存在、それは肉体の私たちをサポートする存在でもあります。

 

彼らは、『本当の自分』に目覚める最終段階にあります。

 

最終段階というのは、必ずしも非物質世界でなければ達成できないわけではなく、

 

この物質世界でもそこまでの段階に到達することは可能です。

 

 

物質世界に焦点を合わせるマインドは、「死」を信じています。

 

だから死にます。

 

非物質世界に焦点を合わせるマインドは、「死」を信じていません。

 

だから死にません。

 

これが基本です。

 

(長くなったので次に続きます)