特別な関係②


 

 

【特別に憎む関係】

 

 

「この人は他とは違う」

 

「これほど愛せる人は他にはいない」

 

「これほど愛してくれる人は他にいない」

 

あるいは、

 

「これほど憎いと思う人は他にいない」

 

「これほど憎まれた人は他にいない」

 

そう信じるほど分離の信念を強くしてしまい、そこから離れることが難しくなります。

 

 

 

特別に愛することも、

 

特別に憎むことも、

 

どちらも特定の誰かを他から遠ざけて分離させてしまいます。

 

 

 

足りないものを与えてもらうための関係、

 

相手に何かを期待する関係、

 

愛してもらうための関係、

 

お金や物をもらうための関係、

 

これは自分が欲しいものをくれなくなったときに終わってしまう関係であり、

 

相手が欲しがっているものをあげられなくなったときに終わってしまう関係です。

 

 

 

あるいは終わってしまうというより、特別に大切な関係が特別に憎む関係に逆転するという方が正確かもしれません。

 

しかし、相反する関係性が逆転するように見えるのは見せかけだけで、

最初から自我の関係性だったものが、同じ自我の違う関係性へ継続しているにすぎないのでしょう。

 

 

 

誤解のないように言いますが、誰かに何かをしてもらうことがいけないわけではありません。

 

「誰かに何かを要求することじたいいけないことだ」と考えると心は宙ぶらりんな状態に置かれ、自分の葛藤は強くなっていくだけです。

 

 

この夢の中においては、私たちは助け合う必要があります。

 

物理的にも、霊的進歩でも、私たちは誰かに助けられ、誰かを助けなくては生きていけない世界で日々を生きています。

 

ただ、与えられるために与えようとすると何も与えられないし、  

そのとき与えられるのはエゴだけで本当に欲しいもの(愛)は受けとれないのが常です。

 

 

この時点で出来ることは、

 

今の状態、今の関係性は、本当の愛を思い出すためのプロセスなんだと認識することです。

 

正解の道を歩いているか、間違った道を歩いているか、そのどちらかということではなく、すべての人は正しい道を歩いているのです。

 

ただここから目的地まで近道をするのか、遠回りして行くのかで個人差があるだけです。

 

 

私たちが最初にするべきことは、

『本当の愛を知りたい』という意欲を持ち続けることです。

 

 

自分と相手との関係性が自我による関係性だと気づいたなら、その関係を自我に基づく関係性から神の子としての愛の関係性に変えることは出来るのです。

 

 

自分で気づき、

 

自分で別の選択して、

 

その関係性から得られる経験を違うものにすることは可能なのです。

 

 

 

それは容易なことじゃないでしょう。

 

とてもとても時間がかかることです。

 

容易くはないが、まったく不可能でもありません。

 

 

 

私たち一人一人に出来ることは、

 

自分が本当はどんな関係を望んでいるのかを心静かに見つめることです。

 

 

根気強く、忍耐強く、自分のエゴに気づくたびに自分の見方を選び直すことです。

 

 

その関係性において苦しみがもたらされるときはいつもその関係が何らかのエゴを起点にしているわけですから、エゴが生んだ苦しみを違うエゴで解消することはできないわけです。

 

エゴが生んだ苦しみは、エゴでないものを選ばないと解消することはできないのです。