「女性エネルギー」と「男性エネルギー」


 

『神の子』はスピリットです。

そのスピリットの中にマインドがあり、

そのマインドの一部分に『神』からの分離を信じたエゴが入り込み、

「我は個別に分かれた肉体である」という夢を見始めました。

 

 

エゴは【分離】をテーマにしてこの幻想世界をつくりあげました。

 

この世界で私たちに見えているものは、

【分離の象徴】である分離したものばかりです。

 

 

 

 

 

その【分離の象徴】の中で最も代表的な例が、男と女(性別)ですね。

 

もともと性別など存在しないのがスピリットですが、分離を信じたマインドはついに自らの存在を真っ二つに分けてしまいました。

 

マインドは、自らのマインドにあるエネルギーを見て、それを二つに分けられると信じたのです。

 

ここではエネルギーという表現で説明します。

しかし、本来はエネルギーという概念そのものも幻想です。

 

『神』は不変的で永遠なるものしか創造せず、出現したり消失したり、増減したりするような「変化するもの」はつくっていません。

 

しかしこの夢の中においては、私たちは何らかのエネルギーを発し、何らかのエネルギーをたえず感じて生きているのは事実です。

ひとまずここでは真実か幻想かという話は置いておいて、性エネルギーの違いについて大まかに説明していきます。

 

 

 

スピリチュアルな世界では一般的にそれぞれの性エネルギーをこんなふうに説明しています。

 

【女性エネルギー】

右脳、左半身、潜在意識、直感的、感情的、インスピレーション、創造性、受容、慈愛、育成、柔軟性、曲線的……

 

【男性エネルギー】

左脳、右半身、顕在意識、論理的、理性、行動力、独立心、統率力、支配欲、強硬、直線的……

 

大まかにはこんな感じですね。

 

 

 

かつて地球人の性別が一つだった時代があるといわれています。

 

例えばスピリチュアルな世界で有名なシャーリー・マクレーンの著作《カミーノ》を読むと、

レムリアの時代には人間は両性具有だったのに、アトランティスの時代になって高度な知的生命体の協力を経て、性別を二つに分ける実験をしたとのことです。

(昔、読んだのでちょっと不正確かもしれませんが)

 

 

この実験が、地球での男と女の誕生の起源とされています。

しかし、事実は並行世の数だけ無数に存在するので、それが真実かどうかはここでは問題にしません。

全宇宙に存在するすべての性別は、分離を信じたマインドが投影する【分離の象徴】であること、それだけが揺るぎない真実になります。

 

 

 

 

恋愛関係に限らず、私たちが誰かに惹かれるときは、相手のエネルギー(相手の波動)を感じています。

相手に惹かれる要素は、相手の容姿かもしれないし、相手の性格かもしれないし、相手の行動パターンかもしれませんが、

それらはみな相手の持っているエネルギーをわかりやすく見せてくれている象徴にすぎません。

 

 

 

誰かを好きになる、恋愛感情を抱く、それらは主に二つのパターンがあります。

 

一つめは、『自分にないものを相手に求めるとき』です。

容姿であれ、相手の行動であれ、性格であれ、それは相手のエネルギーの象徴であり、

同時にそのエネルギーを(波動を)つくりだしているマインドの象徴です。

 

相手に心を奪われるのは、自分の中にはないと信じているエネルギーを相手の中に見つけ、それを欲しいと感じるときです。

それはかつて自分の中にあったエネルギーであり、いつのまにかそれを失ってしまったとマインドで信じているために、

自分の外側にそのエネルギーを求めるのです。

 

 

 

性の衝動はまさにもっともわかりやすい例です。

相手と一つになって、相手のエネルギーを自分の中に取り込みたいという切実な欲求です。

 

 

マインドは、かつて自分は完全な存在だったのに、いつしかバラバラになって不完全な存在になってしまったと信じています。

よって失われたものを取り戻して、再び完全な存在になりたいという潜在的に強い願望があるわけです。

 

 

 

男性から見て、自分の足りないエネルギーを女性がもっていると感じれば女性を求めるでしょう。

男性は直線的なエネルギーですから(一般的にはですが)、女性エネルギーの象徴である女性の肉体を見れば興奮します。

男性にはそれがいちばんわかりやすい女性エネルギーの象徴だからです。

 

 

女性から見ると、男性と同様に自分の足りないエネルギーを男性がもっていると潜在的に感じて、それを男性に求めますが必ずしも男性と同じようにはなりません。

 

足りないと思うものを相手に求める点は同じですが、

女性がもつエネルギーは男性のような直線的ものではありません。

 

女性のエネルギーは、より直感的で感情的で、男性よりもスピリチュアルな感性が強いのです。

男性のように肉体という象徴だけで興奮することは少ないですね。

仮に女性でも男性の肉体の一部に興奮を覚えるのであれば、その方はやや男性エネルギーが強めなのかもしれません。

 

 

一般的に女性のほうが生まれつき男性よりも霊的進歩が進んでいます。

よってエネルギーの感受性は、男性よりも、より繊細で、より複層的なのです。

 

男性のように部分的な象徴ではなく、より相手のさまざま象徴を同時に感じとる感性が強いのです。

 

 

肉体的な話でいえば、男女の肉体それぞれに、かつて両性具有だった名残は残っています。

男性の体の中で男性ホルモンはつくられていますが、同時にわずかながら女性ホルモンもつくられています。

女性も同様に体の中で女性ホルモンだけでなく、男性ホルモンもわずかにつくられています。

 

それと同様に、男性の中にも男性エネルギーの他に女性エネルギーは存在しており、

女性にも、女性エネルギーの他に男性エネルギーは存在するのです。

(ホルモンもエネルギーの一部なのですが……)

 

 

それぞれのエネルギーは実際には単純に分けられるものではなく、細分化しており、

これは本当に大まかな説明で申し訳ないのですが、

 

たとえば、あなたが女性だとして、

 

「私の中には、男性エネルギーの論理的な思考をするエネルギーが少し不足している。それと行動力のエネルギーも足りてない」

 

と潜在的にマインドで感じていれば、そのエネルギーを発している男性を見つけだすわけです。

 

自分が足りないと信じるエネルギーをもっている男性を引き寄せるわけですが、

引き寄せられる相手もまた、あなたに自分に足りていないエネルギーを感じているわけです。

 

 

「相手と一つになれば、自分はようやく完全になれる」そう信じてお互いが相手を求めるわけですが、

本当にそれで完全になれるのかといったらどうでしょうか。

 

 

 

そもそも私たちの肉体は幻想です。

 

肉体は【分離】を象徴してつくられた幻想です。

 

私たちはそもそもスピリットであり、マインドであり、本当は一度も肉体に宿ったことのない存在でありながら、

「肉体の中で生きている」という夢を見続けているだけです。

 

 

かつて人類が両性具有で、実験して二つの性に分かれたというストーリーは、それが事実であってもなくても、

私たちのマインドの象徴です。

 

実際には何一つ分かれていないのに、夢の中で自分を二つに分ける実験をしているわけで、

冷静に考えたらこの実験は「狂気の夢」の代表といえるでしょう。

 

 

肉体の私たちはかつて完全だったけど今は不完全な存在だと信じています。

自分という存在は、一つの断片にすぎないと信じています。

 

 

しかし、『本当の私たち』はもとから一つです。

 

『神』は自らを拡大しただけで、自分の外側に何かを創造したことは一度もなく、

その創造したものをバラバラに切り刻むような馬鹿げたことをしたことはありません。

 

 

『本当の私たち』は今も『神』と一体で生き続けています。

 

同じように『すべての神の子』もまた一体で生き続けています。

 

私たちは『神』の一部であり、『神』と一体であるがゆえに私たちは常に全体でもあります。

 

私たちが自らを断片だと信じても、その断片はすべてを含有した完璧さをもっているのです。

 

その断片の一つひとつに『神のすべて』があり、

 

断片の一つひとつに『神の子のすべて』が在るのです。

 

 

 

あえてそれをこの世界の物質でたとえるなら、

大海から海水を一滴だけすくってその成分を分析したとします。

 

一滴の海水は、他の一億リットルの海水と何か違うでしょうか。

一滴の海水と、海全体では成分に違いはあるでしょうか。

 

一滴の海水に海水そのものの情報があるわけで、一滴という一部分は常に全体でもあるのです。

 

 

肉体はマインドが見ている幻想です。

女性という肉体、男性という肉体も幻想です。

 

女性の中に足りないエネルギーが本当にあるのかといえば、厳密にはありません。

一人の女性の中には、すべてのエネルギーは存在します。象徴に惑わされてはなりません。

 

波動も、エネルギーも、マインドの中でつくられた夢の中の小道具です。

本当はすべてをもっていながら、「あれも足りない。これも足りない」という夢を見ているのです。

 

 

足りない者同士が肉体を一つにしたら、本当に完璧になれるでしょうか?

過去の自分自身に、あるいは恋愛経験が豊富な誰かに聞いてみてください。

 

「それで、あなたは完璧になれましたか?」と。

 

自分は何かが欠落していると信じていれば、引き寄せあう異性も同様に「何かが欠落している」と信じる異性です。

お互いに足りないものを求めてはみるものの、いつかはある事実に気づくのです。

 

 

「いくら相手に求めても、自分の足りないものは埋められない」と。

 

 

だって、本当に欲しいものは初めから自分の中にあるのです。

 

 

この世界はあなたの信念によってつくられている夢です。

 

あなたが「それは自分の中にはない」と信じていれば、あなたが体験するものはあなたの信念通りになるだけです。

 

 

「永遠にそれは得られない」

 

「いつまで経っても自分は完全にはなれない」という夢をつくり続けるだけでしょう。

 

 

 

 

相手に求めているものは、マインドの象徴です。

 

本当に求めているものは、象徴そのものではないのです。

 

 

 

 

相手の肉体も一つの象徴です。マインドが見ている象徴です。

 

相手の肉体を求めているようで、本当は肉体を求めているわけではないのです。

 

 

 

 

私たちが自分の外側に見ているものは、常に【自分のマインドの中】です。

マインドの中にあるものを、わかりやすい象徴として、形や色や音に置き換えているにすぎません。

 

 

自分の不足しているものを埋めてくれるために相手を求めあう関係は結局長くは続きません。

なぜなら、足りないものを埋めあうための関係ですから、どちらか一方か、あるいはお互いに、

相手が欲しいものを与えられなくなればそこで関係は終わるのです。(実際足りないものは与えられないのですが……)

 

 

もうこの相手から自分の欲しいものはもらえない」とわかったら、

また足りないものを埋めてもらうために別の誰かを探すことになります。

 

 

あるいは、どちらかが自分の欲しかったものを自分の中に発見できたなら、やはりそこで関係は終わりを迎えてしまいます。

 

 

 

性の交わりはお互いの【オーラの交換】であるという説もあります。

 

でも本当に性の交わりで必要なエネルギーを交換できるのであれば(物々交換のように)苦労しません。

自分が完全な存在になるために(完全であることを思い出すために)努力をせず性の交わりをしているだけでよいことになります。

 

 

僕の解釈では、お互いのオーラ(エネルギー)は、

お互いが相手に対し自らのマインドを完全に開いたときに本当の意味で交じり合うことができるのだと思います。

 

マインドを開くということは、

 

相手という存在を完全に受け入れ(部分的でなく)、自分という存在も完全に受け入れてもらう、

 

そうやってお互いに相手を受け入れられたとき、はじめて一体感が生まれる。

 

正確には、「自分たちはマインドにおいて最初から一つだった」という真実をたった一瞬でも思い出せること、

 

それが本当の【オーラの交換】といえるのだと思います。

 

 

 

 

お互いがマインドを完全に開くには、相手への信頼がなくてはなりません。

 

信頼は相手への愛、自分への愛、その両方がなくては生まれません。

 

だから、愛のある性の交わりはそれぞれの霊的成長に役立つ可能性があります。

 

 

 

 

逆に愛のない性の交わりは、お互いへの信頼が欠如していますからマインドは開かれず、マインドの一体感は生まれません。

 

そうなると、その性の交わりはたんなる皮膚や粘膜が擦れあうだけの意味のない運動になってしまうかもしれません。

 

お互いが相手を肉体だけを基準にして見ることで終わってしまうでしょう。

 

 

 

 

誰かを好きになる、恋愛感情を抱く、その関係性のパターンにはもう一つあります。

そのもう一つのパターンは、もっとも永続的な関係が築けるパターンです。

 

それは「自分に不足しているものは何もないんだ」と信じることです。

 

「自分は『完全な神』によって創られた『完全な神の子』だ。だから足りないものを誰かに埋めてもらう必要はないんだ」

 

と強く信じることから始まります。

 

そういう強い信念をもっていれば、初めから相手に期待することはなくなります。

 

 

自分に足りないと思っているものは、すべて象徴にすぎない。

 

自分が外側に欲しいと思っているものは、それが何であれ、自分のマインドの何かを象徴しているにすぎない。

 

それはいったいマインドの何を象徴しているんだろうと考えてみる。

 

考えても自分にはわからない。だからハイヤーセルフに教えてくれるように依頼する。

 

そして、その不足していると信じているものを自分の中に見つけるにはどんな方法があるのか、それも尋ねてみる。

 

 

そうやって、欲しいものを自分の中で探すようになると、

あなたが出会う人はあなたと同じように、「欲しいものを自分の中に探している人」になります。

 

 

お互いが、自分の欲しいものは相手からはもらえないと信じていれば、お互いに相手に期待しません。

 

 

つまり、相手に期待するところから関係が始まるのではなく、

 

相手に特別な役割を期待することはあきらめるところから関係を始めるのです。

 

 

 

 

そうなればお互いが、

 

「自分はこれでいいんだ!このままの自分でいいんだ!」

 

と相手に思わせるための関係になります。

 

 

 

 

お互いに奪い合うための関係ではなく、相手の存在を肯定するためだけの関係になります。

 

お互いが相手の中に『神』が創った「完全さ」を発見するのです。

 

そうなれば、ただ「愛と喜び」のみを共有できる関係になります。

 

 

 

お互いが、相手にとって理想的な教科書となります。

 

自分のダメなところを教えてくれる教科書ではなく、

 

「ダメだと信じてきたもの、足りないと思ってきたものは、初めから幻想だったんだ」

 

と気づかせてくれる教科書です。

 

 

 

お互いが相手の中に『神』の神々しさを見るようになります。

 

そうなれば、お互いが与え受け取るものは、感謝であり尊敬であり安らぎだけです。

 

 

 

今いるパートナーとそのような関係ではなかったとしても、

自分のマインドを変えることができれば(相手を変えるのではなく)、

二人の関係は永続的な関係性に変わってゆく可能性は十分にあります。

 

 

今、パートナーがいないのであれば、自分のマインドが変わることでそのような関係を築ける相手を引き寄せる可能性も十分にあります。

 

 

あなたは女性です。でも男性でもあります。そして、どちらも幻想です。

 

あなたは男性です。でも女性でもあります。そして、どちらも幻想です。

 

 

 

皆、『完璧な存在』から生まれた『完全な子供』です。