一見すると自分の経験は、
〈望んだものと、望まなかったこと、どちらでもないこと〉
の3つが混在しているように見えています。
しかし、究極的な言い方をすれば自分が見ているものすべて、
自分が経験するものすべては自分が望んだものしかないことになります。
何かを望んだのに叶わない場合は、
顕在意識では望んでも潜在意識では望まなかった、つまりは叶わないほうを望んでいたということであり、
その逆に、顕在意識では望んでいないのに潜在意識では望んでいたためにそれが起きてしまうこともあります。
これは前者も後者も同一のメカニズムです。
潜在意識が優先されるということです。
【潜在意識=隠している観念】という言い方も出来ます。
だから引き寄せの法則では、
潜在意識にどんな観念が隠されているかに気づき、
顕在意識と潜在意識を一致させることに努めて願望を叶えようとすることはご存知かと思います。
以前、当サイトを見た方からこんな質問をいただきました。
「本当の自分に目覚めたら、
本当の自分として生きているレベルに到達したなら、自分の願望はなんでも叶う状態になるのか?」
おそらくこの方のイメージは、
自分が見ているものすべてが幻想だと悟れたなら、そこから幻想を自由にコントロールして、
自分の思い通りにこの世界で生きていけるというようなものかもしれません。
確かにある意味それに近い状態になれるかもしれません。
欲しいものは念じただけで目の前に現れるかもしれません。
行きたい場所があれば乗り物に乗らなくても念じただけで一瞬で行けるかもしれません。
海の上を歩けるかもしれませんし、
空中に浮くこともできるかもしれません。
しかし、その方には皮肉のような、意地悪のように聞こえたかもしれませんが、その時の僕の答えは、
『もしも本当の自分になれたなら、
この世界でなんでも叶えたいとは思わなくなるでしょう』
というものです。
そもそも肉体意識の私たちは、本当に自分が望んでいることが何なのかを知らないのです。
私たちが見ているものは、
分離意識の信念を象徴的に形作ったものです。
分離意識の投影であり、
私たちがこの世界で欲するものは、
本当に欲しいものを分離意識というフィルターを通して作られたホログラムのようなものです。
すべては代用品なのです。
では、どんなものの代用品なのかを私たちは分かっていないのです。
代用品だから、手に入れても飽きてしまうのです。
代用品だから、手に入れてもまた違うものが欲しくなるのです。
代用品だから、いずれは自分の手から離れていってしまうのです。
たとえばあなたが、灼熱の砂漠に迷い込み、水を求めて彷徨っているとします。
遠くにオアシスが見えたとして、水が飲みたい一心でそこに向かって歩いていったとします。
でも途中でそのオアシスが蜃気楼がつくる幻影だと気づいたならどうするでしょう?
それでもそこに向かって歩き続けるでしょうか?
本当の自分になるということは、
この世界には本当に欲しいものは一つもないんだと悟ることです。
この世界での状況なり形態なりを変えるとか、
この世界にある何かを手に入れるだけならば、そもそも本当の自分になる必要はありません。
自意識の中だけで観念を変えるだけで済むことになります。
分離意識の中だけで、自分が望む何かへ意識を向ければいいだけです。
ずっと自我の中をぐるぐる回っていればいいわけです。
本当の自分になるということは、
自意識の外に出て、本当の自分と思考体系が完全に一致するということであり、
実在性のない思考体系を保ちながら本当の自分になるというのは矛盾していて不可能なのです。
奇跡講座の観点でいえば、この世界で何かを引き寄せたいならば聖霊を選ぶ必要はないということになります。
奇跡講座では、自我の思考体系から聖霊の思考体系に移行することで自分の中に癒しを起こすことが主目的であり、
聖霊を選ばないということは、
心の中で真の癒しは起こらないままということになってしまいます。
真の癒しは、形のレベルで自分が置かれている何かしらの状況が変わろうが変わるまいが、今すぐ幸せだと感じられるようになるということです。
注意していただきたいのは、形のレベルを変えてはいけないわけではありません。
ただそれが自分を幸せにしてくれるかどうかは別の話という意味です。
「願望はすでに叶った」と観念を変えて、
もしくは本当に願望が叶ったとして、安らぎや喜びを得られたとしても、その安らぎは長くは続かないと思います。
その願望が自我に基づいている限りは、残念ながら幸せは続かないのです。
この世界で何かを望んだらいけないという意味ではありません。
その願望が、幻想に留まるためのものなのか、幻想から抜け出すために役立つものか、
私たちはその違いに注意深くなる必要があるのでしょう。
この世界にいるあいだはさまざまなニーズがあります。
僕も日々この世界の何かしらを欲して生きています。
ただ生活の中のニーズと、
本当の幸せとを混同しないようお互いに気をつけたいですね。