「自分を変えたい!」
みんなそう思います。
この世界は私たちのマインドがつくりだす夢です。
内側(マインド)を先に変えれば、その結果として遅かれ早かれ外側(見ている世界)も変わります。
その逆に、外側を先に変えたら内側が変わることがあると思う人もいるでしょう。
「勉強に集中しやすい環境にしたら、勉強がはかどるようになった」とか、
「ファッションを180度変えてみたら、それに合わせて性格も変わった」という話はときどき聞きますね。
でも不変的な原則は、
マインドの投影があって、その次に現実が(現実と思い込んでいる夢が)あるってことです。
だからこの場合もスピリチュアルな視点で見たら同じになります。
先に変わるのは常にマインドの方であり、
その反映として自分の見ている世界が変わるわけですから、
ファッションだろうが、住環境だろうが、
先に「変わろう。変わりたい」とマインドに変化を起こしたからこそ
「違うファッションに挑戦してみようかな」とか「勉強部屋を変えてみたらどうだろう?」という発想になるわけです。
一見、環境が自分のマインドを変えることもあり得ると思ってしまいますが、変化は常にマインドが先です。
【環境がマインドを変える】のではなく、【マインドが環境を変える】のです。
「自分を変えよう!」
そう決意して動き始めるとき、
マインドの中に潜む自我(エゴ)が必ず抵抗します。
この場合の「変えよう!」は、あくまでも『より本当の自分らしく生きよう!』っていう場合の話です。
つまり、【本当の自分らしく=より幸せに生きたい】です。
あなたが起こす変化が小さければ、自我(エゴ)の抵抗は小さなものになります。
そして、あなたが起こす変化が大きければ大きいほど自我(エゴ)の抵抗は大きくなります。
抵抗のパターンはそのときどきで違いますが、その一つに“不安や後悔”といった抵抗があります。
本来のあなたは、スピリット(霊)であり、完全に時間の外側にいるわけです。
あなたが『本来の自分に近づこう』とすることは、
必然的に『時間という幻想に縛られず【今ここ】に集中しよう』ってこととイコールです。
自我(エゴ)は、あなたが『本来の自分』に近づくと自分の存在が消されると思っていますから、
あなたの意識を【今ここ】ではなく、未来(=不安)や、過去(=後悔)に向けさせるわけですね。
他にも、自分自身や誰かに対して訳もなく怒りをぶつけたくなる衝動が起きたりします。
怒りの感情は、本当の私たち(スピリット)の中には存在しない感情です。
だから本来の自分にない感情に溺れているあいだは、『本来の自分』には近づけないわけですね。
自我(エゴ)の抵抗の典型的パターンです。
自我の抵抗は物理的な現象としてもいろいろ起こります。
今のあなたがネガティブと信じている出来事を起こしたりします。
自我(エゴ)は自分のマインドの中にあります。
自分が経験する出来事は常に自分のマインドの中から起こるのです。
そして、「あなたはスピリット(霊)ではなく人間(肉体)だよ」と分からせるために病気をつくったり、
必要以上に食欲や性欲を促進させたりします。
意識を肉体に集中させ、「変わろう!」とする意欲を削いで現状に留まらせようとするわけです。
怒りの感情と同様に、幻想である肉体(エゴとしての自分)に集中しているあいだは、
私たちは『本来の自分(実在の自分)』に集中することができません。
人それぞれ陥りやすい抵抗のパターンがあります。
僕の場合は何があるかというと、より本当の自分に近づくようなことを始めようとすると決まって体調が崩れます。
このパターンは長年続いていることなので、いい加減このパターンから卒業できても良さそうなのですが、
僕にとってなかなか変えられないパターンです。
このパターンは毎回のように忘れてしまうんですよね。
そして起きたあとで、「あっ、またか…」と気づくのです。
僕にとってなかなか終わらない宿題です(苦笑)
長年マインドに染み付いた自我のパターンを変えるのは容易なことではないですが、
どんなパターンであれ、それを恐がらないことが大事です。
なぜなら自我(エゴ)は、私たちを恐がらせるために必死に抵抗しているわけですから。
恐れずに根気よく向き合っていくしかありません。
僕の中にある抵抗は、昔に比べるとずいぶん軽くなりました。
体調が崩れると、「あぁ、またエゴが暴れてる……」なんて思ったり。
気づくだけで抵抗はいくらか軽くなったりします。
特に『奇跡のコース』に出会ってからは、確実に赦しは進んで、自我(エゴ)の抵抗も緩やかになってきました。
しかし、油断は大敵です。
なぜなら自我(エゴ)は、私たちの意表を突くのが大好きなので……。
コース流の言い方をすれば、
日々どんどん赦しを進め、自我(エゴ)の抵抗を軽く感じ始めた頃が一番危ういのです。
そういう時、自我(エゴ)はガツンと何か仕掛けてきます。
自我(エゴ)は私たちのマインドにあるわけですから、私たちの予測ができないことを正確に選んで不意打ちをするのです。
やっかいですね(苦笑)
しかし、恐れず。
しかし、油断せず。
大切なのはこのバランス。
抵抗がくれば、それを自分一人でどうにかしようとせず、
「自分は解決法を何も知らない」
という前提でハイヤーセルフ(聖霊)に助けを求めることです。
“助け”とは物理的な解決を代わりにしてもらえるわけではなく、
その抵抗をつくりだしたのは自分のマインドですから、
自分のマインドをどう変えれば見ているものを変えられるか、その方法を教わることです。
その状況(抵抗)をまずは受け入れて、それからその状況を赦していく。
結局それしかないんですね。
これは【部屋の模様替え】みたいなものだと思います。
今いる部屋が気に入らないから、模様替えを始めてみる。
しかし、簡単に終わると思っていたのに予想外に手こずるのに似ています。
タンスを動かそうとしたら予想外に重い。
引き出しの中身を出したら軽くなり、いざ動かすとタンスの裏は埃だらけ。
クローゼットを片付けてたらゴキブリの死骸を発見。
ベッドの下を片付けてたら、懐かしい品々が出てくる。
卒業アルバム。昔の恋人からもらった物。
とっくに忘れたと思っていたあの頃の記憶。
思い出して温かな気持ちになるものもあれば、その反対もある。
アルバムの同級生を見て、その人にされた嫌なことを思い出す。
相手のことをとっくに赦したと思っていたのに、当時と同じ嫌な感情が蘇ってきてしまう。
別れた恋人のゆかりの品を見て、昔の恋人が今どこでどうしているのか気になって仕方なくなる。
相手のことをとっくに吹っ切ったはずなのに、「今さらなんで?」と思うほどに思い出が蘇ってくる。
あるいは、自分が相手にしてしまった後味の悪い何かを思い出すかもしれない。
過去のいろんな思い出がどんどん浮上してきて、模様替えは中断してしまう。
「模様替えなんて始めなきゃよかった」と思う。
部屋の中を大きく変えようとするほど、ネガティブなものがワーッと押し寄せてくるものです。
一見ネガティブな思い出じゃなくても、その記憶に心が釘付けになるようなら、それもまたエゴの罠、エゴの常套手段です。
だからといってそこで止めてしまうと、いつまでも理想の部屋に変えられません。
だから、そんな時にまず行うことは、『自分はどうするのか』をはっきりさせること。
忘れかけていた出来事、なんとなく目を逸らしてきた問題、
それらを赦すのか、赦さないのか、まずはそれをはっきりさせる。
意外とその決断が出来ないのです。
赦したいけど、まだ赦す気になれない。
手放したいけど、まだ手放したくない。
いつだって自我(エゴ)がそう思わせるのです。
自分だけでどうにかしない。
自分一人だったら、ずっとそこにフリーズしたままになります。
「私は正しい選択ができない」と宣言する。
そして委ねる。
カウンセラーに相談したとしても、カウンセラーがすることは同じです。
カウンセラーがマニュアルや自分の経験だけでどうにかしようと思うと失敗します。
それでは手放せない。
だからカウンセラーも「自分は最善の方法は何も知らない」ってことを基本にして答えを委ねるしかないのです。
焦らず、じっくり時間をかけて、一つ一つ対処していく。
片付けが進めば進むほど、確実に心は楽になっていきます。
楽しくなってくる。
穏やかになってくる。
いろんなことがスムーズになってくる。
「今まで通りでいいや」、「変えるのはもうちょっと先でいいかも」
こうすると自我(エゴ)は少し安心し、抵抗を少し弱めます。
でもこれは『本当の安らぎ』じゃない。
理想の自分、理想の生活には程遠く、
じわじわと嫌な不快感が続いていくだけです。
進歩を遅らせた自分への嫌悪感、罪悪感が残るだけ。
自我(エゴ)を恐れず、
でも油断せず、
焦らず時間をかけてハイヤーセルフ(聖霊)の助けを借りながら片付けていきましょう。
一日で終わるものもあれば、何年もかかるものもあります。
それでも、あなた自身が「これを必ず片付ける!」と決意するなら、必ずなるようになってくれます。
どうにかなっていきます。
私たちの進歩は、立ち止まることはできても後ろに下がることは絶対にありません。
それが私たちスピリットの本来の特性であり、
それが私たち『神の子』が『神』から与えられた救いなのです。